カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

正しさ?と孤独

お寺で対話する夜 第十九夜は、深川 陽岳寺にて開催。

◆第十九夜のテーマは "正しさ?"◆

やってしまったこと。
完全無欠でない私が、これからしでかすであろうこと。
そして、やってしまったけれど気づいていないこと。

あなたはどんな時に、 心にチクッとした痛みを感じますか?
ちょっとした罪悪感を感じますか?
その気持ちを、どうしていますか?

今回もいろいろな方がいらっしゃいました。
心にチクッとした痛みと罪悪感を、一緒に考えられない。言えないこともある。言えないから抽象的な話でうろうろしたり。感じてないと思ってたけど、よく考えてみると処理してないなァとか。きりかえて!きりかえて!とか。モヤモヤ・鈍痛の罪悪感。自己嫌悪とのセット。誰かに対してのごめんなさい。


対話中、帰り道、寝る前。ひとり孤独を感じる時間があったと思います。罪悪感は自分と向き合い、自分は間違っていたと認めなければ感じることはない。その咀嚼の時間を「孤独」と言います。罪悪感なんて無いなァという意識も、対話についていけない場面も、宙をさまよう視線も、孤独な時間。

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テーマは毎回違います。今回は僕が聞きたいことに、お付き合いいただきました。ありがとうございます。
そして、ごめんなさい。チクッとしてます、ちょっとした罪悪感。
その理由は、「みなさんの貴重な時間であったり、500円だったり色々な犠牲や代償をはらっていただいて、ぼくがしたいことをするのに付き合ってもらったから」だけではなくて、「はらった(と思ってるか分かりませんが)ものに見合っただけの“何か”を届けられたか・感じられたか分からない」からです。
でもきっと、「なにかをする」というのは、かならずこの形になる。会社をおこすなり、アルバイトするなり、勉強するでも、喫茶店にはいってお茶するのでも。なればこそやるしかない。

思いやこころは見えないけれど、じつは一人だけ見ている人がいて。それは自分です。・・というお話しをしました。
思いやりやこころづかいより大変ひろく複雑な領域、思いやこころ、を私たちは持っています。この当たり前の事実を、自分にも他人にも認めるとき。わたしたちは「ひとは、自分より愛しい人はいません。みんな自分と同じように、自分より愛しい人はいません。なればこそ、ひとは、自分と同じようにみんなを傷つけてはいけない。」という孤独を知り、孤独であることはそれ自体でとても豊かなことだと知るはずです。

ひとは自分より愛しい人はいない。
そんな自分にとって、皆さんが考えた様々なことらは「どう悪い」のか。この孤独にお付き合いいただいたのでした。

宗派・仕事・キャラクター、さまざまな人間や自分の発見も楽しい“お寺で対話する夜”。次回もお楽しみに。

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