カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

スクラップアンドビルド方式

子どもが生まれて3ヶ月。
「そして父になる」という映画があったけれども、このタイトル、フレーズがふとしたときに思い出される日々である。

そして父になる。
あの映画は2013年製作で映画館にて鑑賞した覚えがあるが、当然我が子は生まれていない。影も形も。
フクヤマ演じる父親は、6歳になる我が子が(故意に)他の家の子どもと取り替えられていた事実を知る。向こうの家族と交流をしてみたり、お泊まりをしてみたり、「我が子」と話をしてみたり、紆余曲折があって、そして父になる。というストーリー。


時代時代によって、家族の形や姿、理想というものは変化していく。変化するからこそ、ドラマ、映画や小説などの表現が繰り返され続けるわけだが、ひるがえって私の家族はどうだろうか。
たとえばバブル期、たとえば戦後、たとえば戦前、たとえば江戸時代。参考意見として各時代の家族像のおはなしは見るかもしれない。たとえば映画、たとえば小説、たとえば演劇。参考意見として各エンタメの家族像のおはなしは聞くかもしれない。
ただ、表面上のこと(こういうお話しの家族アリかもね)はそのままでは参考意見にはならない。もっと深い部分こそ参考意見とするのが適切であろう。


そして父になる、のおはなしを今思いだし、フクヤマ演じる父親に自分を投影してみる。感情移入してみる。どのようなことを思っていただろうか、感じていただろうか、妻や「我が子」と話をしていただろうか。
映画では、フクヤマ演じる父親は、取り替えられていた事実をつきつけられてからの紆余曲折によって、自分は父親としての役割を果たしていなかったのではないか?と疑い、父親になる=「我が子」を受け入れる、と私は理解している。
それはつまり、自分にとっての家族像・父親像・父親の役割などといったものを作りあげていた意識が。自分のこころが、妻の気持ちが、家族が、アイデンティティが、仕事への意義が、「何不自由のない生活」も、いったん壊されている。
そうして紆余曲折をへて、父になることを再びビルドされていったのではないか。


「我が子」サイドからこのストーリーを見れば、自分が親だと思っていた人たちに一度捨てられる話でもある。
捨てられるのかな、捨てられるのかもしれない、そうした気持ちを持つことは大変な痛みを伴う。まして子どもだ。高層マンションの一室に核家族で暮らす無菌培養な「我が子」には、衝撃はすごかったであろう。
しかし、父親にとっても、「我が子」の将来にとっても、この事実は必要なことだったと映画は見せているように思う(もちろん取り替え事件など起きてはならないが)。お泊まりをさせられる家族は、もっと雑多で、もっと地元色が強く、家族も色とりどり、荒波に揉まれても生きる雑草たちを象徴とされていた。
なにかが起きたときに(たとえば取り替え事件)、へこたれず、しぶとく生き抜くためには。一度自分を壊すか、捨てられるか、捨てることを自覚する必要がある。そうして再構築するというプロセスを取るのだ。・・・体力があればの話だが。


体力があればの話ついでに、たぶん、もうひとつ必要な材料はあると思う。
それは、まわりの視線だ。
血縁だけでは親子であることの証明にはならない、とこの映画は提示している。紆余曲折、延滞が大事だと。この紆余曲折のなかに、まわりの視線が必要となるのでは。
むかしは社会や地域が家族を育てていた、といった文脈を紹介されることがある。つまるところ、視線によって及ぼされる影響が大事なのだ。「彼らは家族だよね」という認識をひしひしとまわりから感じさせられ、「そうか、やはり私たちは家族なんだ」と自分が納得するかのために、まわりの視線が必要なのだ。
こうして、家族ってのはこういうものか、家族のなかでの自分の役割はこれかな、「これが家族なんだ」という意識がビルドされていく。


ビルドする仕組み、壊す仕組み、持ちこたえられるだけの体力や社会的リソース。家族とは、体力や社会的リソースそのものなので、家族自体のスクラップアンドビルドは大変なことだ。
ロールモデルとなる家族像をさがすのに必死で、付け焼き刃になったり、新しい家族の形を作り直すことも出来ずにそのままなことも多い。そしてふとしたときに愕然とする。しかし、その愕然としたときこそチャンスであり、まわりからの支援も必要となる意味でも、まわりの視線は大事と言っていいだろう。


一度バラバラにして、また作りあげれば良い。家族の形にケチがついたと思うのは間違いなのだ。

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