読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

その本に出会ったのは、息子の命日だったんです。

http://www.flickr.com/photos/35237092540@N01/6935367227
photo by Pete Prodoehl

ユリウス・カエサルだったか、「人という生きものは、見たい現実しか見ない」とは有名な言葉です。
本屋で目的の本の両隣にある全然違うジャンルのものを買ってみる。そんな行為をしていたこともありましたが、もうその本の内容は記憶にはありません。

わたしの部屋に仏教書ばかりが積読されていく昨今。世に言うスピリチュアル系も手を出してみようと思いました。

人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索

人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索

人は死なない?ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索?

人は死なない?ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索?

都内のお寺さんですと、ひとつやふたつ“ゆかりの品”や“伝説や言い伝え”というものを持っていたりします。“都の旧跡”もしかり。
陽岳寺も言うにおよばずで都の旧跡があります。土日は門があいていることもあり、たまに江戸検定散歩ですとか旧跡散歩の方々がいらっしゃいます。集団であろうとも、個人であろうとも。

そんな中、ふらっと中年の女性がいらっしゃいました。
話を聞いていると、彼女は四国の霊場巡りもされたり、ボランティアに精を出されていたり、なかなか殊勝なことをされているご様子。どこかで陽岳寺にある旧跡のことを知り、訪ねて来たのでした。
そうなんですね・・・・・・と話を聞きながら私は彼女の顔のうしろへと目がいっていました。かならずご自身の肉親をゴール・原因にされている、話の決着点・終着点にされるのでした。そのことに私は冷静さを取り戻さざるえなかったのです。

わたしが未熟者であるため、あまり「そういった」方と出会うこと・お話しすること(立ち話でしたが)・・・・・・ということはありませんでした。西の方ではよくあるのではないかと他人事な日常です。
なんというか、あまり「そういった」話はいたしませんよね。この中年の女性は、よく話してくださった、という風にも思いつつ。いままで私が出会ってきた人々も、話しても信じてもらえない・いぶかしがられることを恐れて、ふつうのコミュニケーションをしていたのかもしれません。
 
 
理屈ではない。
霊性の体験は、ことばで説明することのできないことです。ならば、言葉や理屈の世界から、霊性の世界を垣間見ている業界を考えてみればいいのかと思い、本をさがしたのでした。

最近になって、わたしは『大切なことは二度も三度も、何度も言っていい』のだということを多くの人々から学びました。
マイブームというと無礼のようですが、ちょうど本のなかでその『大切なこと』を見つけたので紹介したいと思います。
登山家メスナーは、いっしょに登山していた弟が雪崩に巻き込まれたと知りますが、探しきれず、後に言います。

弟の死を克服するために、彼の死を僕の生命の一部であると考えるまでには、何年もの歳月を必要とした。

冷徹で、強い意思をもつ人間の言葉としても心に刻みたいし、また同意したい。

さらに別の話ですが、砂漠の民がその砂中においてある存在との対話をするように、彼もまた山中にてある存在との対話をしていました。
ただし、対話の対象としてのある存在・人の死後についてなど、分からないことは分からないものです。そこが究極なのでしょう。
 
 
彼女はいくらか話し終えて、帰っていったのでした。
自身の自信を確認できたからか、わたしと共有できたからか、勝手に満ち足りたからか・・・・・・は分からないままです。