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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

期待と裏切り-日本xギリシア戦を終えて

ふだんサッカーに微塵も興味がないけれども、世間のワールドカップ熱に微熱が続いています。
いろいろな人の、いろいろな対ワールドカップの姿勢があるのでしょう。わたしは本当にゆるい。ゆるい、というか応援の仕方を知らないだけなのかもしれないと思った。

本日am7時から対ギリシア戦がスタートということだそうで、朝ごはん中に前半終了。ドローだという。朝はNHKを流しているのですが、前半終了をNHKの速報にて気付く始末。
で、そのまま花子とアンあさイチ。すこしテレビをオフにしていたら、ふと気付くと9時前!試合終わってました。そんな感じです。


応援の仕方をしらないもので、買った負けた引き分けた・・・というリアルタイムの一喜一憂についていけません。
きっとそれは、「選手や代表チームと同じフィールドに立つことができない」からなのでしょう。

どうしても、高みの見物で終わってしまう。
たいがい高みの見物でいる人の意見は、本気の人たちにとって、しゃくに障るため、口を閉じているようにしています。
「応援してやったのに」「俺が応援してたのに」・・・といった高みの見物客の発言は、同じ高みの見物客としてもイラッとしますね。


育児に関してもそうかもしれません。
(母親にとって)父親が自分の育児に口出しをしている、と感じるのは無理もないかもしれない。「母親の育児を応援する父親」を男が高みの見物で演じる限り、どうにもならない。
高みの見物は、勝手に期待して、勝手に裏切られる繰り返し。
同じフィールドに立たない(一喜一憂しない)なら応援する資格はない・・・とまで言ってもいいかもしれません。


では、高みの見物ができるということの良さは無いか・・と探しているのですが、それはまた別の話。
同タイミングで俯瞰することができること、くらいでしょうか。

「googl検索:サッカー 応援の仕方」しても、本気の楽しみ方しか出てこないので、ちょっとどうにかしてほしい。

参考リンク


椎名林檎 - 『NIPPON』 - YouTube