カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

内なる鬼

柔道女子選手15人の告発のはなし、ありますよね。
全柔連に言ったけどダメだから、JOCに言った・・けど やはりダメだった、という。

ワイドショーが盛り上がってますが、基本的にそういう話しは世間がああだこうだ言うことではない、というのは真実なわけです。
ただ、ワイドショーで炎上に油をそそいでもらう方法を取る場合もあるかなと。
では彼女たちは社会的制裁を求めていたのでしょうか??「仕方ない、世間様に騒いでもらって、解決をはかろう」と思ったのだろうか??
否。世間様云々の作戦はうまくいかないこと位分かっているでしょう。JOCへいく前に、マスコミに流すでしょう。

今回のことは、ほんと気の毒だと思う(こちら)。彼女たちに「世間を騒がせてごめんなさい」「東京招致に影響が」とか謝らせる始末。
実名公表の是非とか、2020年オリンピック招致に影響とか。集団告発と、まったく関係ないのに。あのおばんとおっさん、スルーできないのかねー。


で、僕は鬼がいるなーと思うんですよ。
前監督とか、コーチとか、前強化委員会委員長とかの心のなかに。
新聞の書いていること(こちら)が細かく事実かは分からないですよ?でもね、もしあったとしたら、それは鬼だったんだろうなと。
そして、その鬼に気付いていないのか、気付きたくないのか、のどちらかだったんだろうなと。


振り返りのときに「飼い慣らす」というワードが出てきたと思うんです。違う班の方だと思うのですが。サン・テグジュペリ『星の王子様』にでてくる言葉としての、「飼い慣らす」だと僕は思いました。

鬼って、相手とか、時と場合によって変化するものです。よかれと思ってしていたけれど、後になって考えてみると「あのときの自分は、鬼だったなぁ」とか。

「飼い慣らす」=積極的に働きかけて、よき仲を作ろうと意志する、みたいな感じ・・・と池澤夏樹氏は言っています(こちら、農業の話もおもしろい)。
誰の心のなかにでも、鬼は住んでいるんですよ。
魔がさしたり、鬼がいるときって、そのときは鬼の存在に気付いていない。怒り・むさぼり・愚かさでいっぱいだから。でも鬼はいるんです。
で、その鬼は人間らしさじゃないかって思うんです。人間らしさって、ちょっとの怒り・むさぼり・愚かさじゃないですか。
ただ、ちょっとの加減が難しいだけで。すぐ鬼で心がいっぱいになっちゃう。飼い慣らさないと、積極的に働きかけて、よき仲を作ろうと意志する、みたいな感じで付き合うものなんじゃないかって。

内なる鬼。
鬼は、自分があさましい存在である。こう知ることが鬼です。私たちは内なる鬼をはらみながら、鬼であると知らなかった。現実には、その自覚よりももっと鬼なのだ、ということの意味は深いです。
気付いた程度の鬼は、まだまだ程度が知れています。その裏の、内なる鬼のさらなる深さは、ほかならぬ自分で確かめるしかありません。

振り返りで子育ての話がでたように記憶しています。
「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く路じゃ」
このことわざの意味は、子どもを叱ってはいけない、のではなく。その前に自分を観察せよということです。自分が子どものころの悪戯を思い出して、自分には叱る資格などないが、それでも…と。相手の中に自分を観よ。この私しか確かめるものはないことの示唆でしょう。

感情と理性の対比は時代遅れ、と言われるかもしれません。
光と影、どちらかがないと、どちらも存在できません。一心同体といっても、おかしくはないですよね?

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