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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

舌を喜ばせる味

人前で泣くのはみっともない、男らしくないなどと言われたのは遠い昔のこと。
テレビや広告では、〜が泣いた!のように、それくらい感動するんですよというアピールに余念が無い。とりあえずここで泣きを入れておこうか、と涙する顔を見せる番組もそれだ。おかげで泣くという行為が陳腐化してしまった。

そんな昨今。涙もろくなって困っている。荘厳な、感動を呼びおこそうとする音楽。映像。えもいわれぬ気持ちになり、自然と・・・涙腺が・・・うぅっ・・・。
そんな時、必死に涙をこらえるために考える。なぜ自分は涙を流そうとするのか?この流れに対して本当に涙するほどの何かを感じているのか?と。
ここで問題になるのが、涙が先か、感動が先か。悲しいから涙をするのか、涙をするから悲しいのか、だ。


ぼくはジャンクフードやカップラーメンが嫌いだ。その理由は完全にイメージが先行しているのだが、買おうとは思わないのだ。手頃で、それなりの味を楽しめるという点は評価する。けれどもあの味が許せない。
ジャンクフードにはジャンクフードの味、というものがあると思う。あの、舌を喜ばせる味のことだ。
舌を喜ばせる味。その感覚は、安価・低栄養・不健康、そして何より”人工的”なイメージから来ているのは分かっている。しかしその感覚を手放すことができないでいる。
ひるがえって、昆布、干し椎茸や煮干し、野菜の皮をつかって取る出汁。これらはジャンクフードほど舌を喜ばせることはないが、舌を安心させる味といえる。肉や骨を煮込んでできる出汁ももちろんそうだ。


うまい!さすがジャンクフード、とは言いたくないように。涙した!さすが効果的な音楽や映像、とは言いたくないのだ。その程度のものに涙した自分を認めたくないのかもしれない。
ケチな性格だとは思う。正直疲れるのだ。涙をするという行為は、それに引きずられて出てくるものが多すぎる。うまい!には、喜びしか引きずられないが、チンケなものを喜びと結びつけたくないのかもしれない。
パブロフの犬状態。すっかりテレビや広告の手のひらだ。
有機栽培は身体にいい的神話などとの、多方向アタックにすっかり乗せられている事実!
ほんとこの世の中、信じられませんね。
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