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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

脚下照顧~したこと、したかったこと、したいこと

法要のあとにお話しをする、そんな機会は滅多にないので緊張しました(避けているとも言えます・・)。
でも!おかげさまで、いちおう形にすることが出来たとは思うのですが・・・言い忘れたことがあったので、エントリー。


さて、12月に入りました。あと半月ほどで2013年。年明けです。
年末、会社や地域の忘年会に参加される方もいらっしゃるかと思います。
忘年会には、家族や仲間と、この一年の労をねぎらったり。仕事納めの納会的な意味合いがあるようです。無礼講といって、羽目を外しすぎてしまうことも。


禅宗の寺院には、玄関にこういった文字が書いてあることが多いです。
『照顧脚下(しょうこきゃっか)』
『看脚下(かんきゃっか)』
陽岳寺の本堂にも、この言葉の書いてある板が置いてあります。この言葉には、ひとつの逸話があります。


とある老師と弟子たちが、夜道を歩いていました。
灯していた明かりが風によって消えてしまい、どうしたことか。老師は弟子達に「さぁ、どうする!」と詰め寄ります。生活のなかで、ちゃんと修行が出来ているかを師匠は弟子に確かめるのです。
一人、また一人と答えますが、老師は認めてくれません。この暗闇に満ちた世界をどうやって歩んでいくか。
そして最後の一人。彼はただ「看脚下」と言ったのでした。暗いのだから、足下をちゃんと見て歩いていけばいいではないか、と。老師は、その答えに頷いたのでした。
後に、この弟子 圜悟克勤禅師は、『碧巌録』という書物の第一則に、
「知らず、脚跟下に大光明を放つことを」
と著わしました。


この逸話。なにを当たり前なことを、と思うでしょう。
頼りになる明かりが消えてしまったのなら、つまずかない様に気をつければいいだけじゃないかと。


お天道様のもとでなら、そう思うことができるかもしれません。
人間は暗闇を恐れます。知らない、分からないという闇です。
お先真っ暗とはよく言ったものです。
昨年の三月におきた震災、原発や日本の行方。また、明日から来なくていいよと言われたり。悲しみにあふれ、一体これからどうすればよいのかと途方にくれたり。立ちすくんでしまうこと、身動きがとれなくなってしまうこと。多々あるはずです。
そんな時。今・ここですべきことは何か?立ち止まって考えるべきことは、つまずかないように気をつけて行くということです。今しかないことです。
『照顧脚下』、足下を照らし顧みる。
この足下とは、今(という時間に)、ここ(という空間に)、(立っている)わたしです。 そこから、今・この場所までの歩んできた道のりをも指します。そして、これからの道についても。
足下だけを指さないのです。足下ばかり見ていてはダメで、過去・現在・未来、世界全体を指す。


即今只今、足下を見よ!と。禅宗は、日常の中で真理を具体的に見ます。
べつに年末になったからといって、一年を振り返らなくてもよいわけです。いつの間にか、もう年末。そんな時、せめて年忘れを、という願いなのかもしれません。
照顧脚下、看脚下。心の片隅にでもひっかかってくれればなと。そう思います。


・・というお話しでした。以下、話し忘れたこと。


したこと、したかったこと、したいこと。今年の振り返り・・というのも関係なく、いくら頑張ってしたことも、したいことも、すべては「日常」であります。
お寺で、畳のうえで、ストーブをかこんで、知らん人と、お坊さんと話す・・というのは、たしかに非日常です。しかし仏教では、その「日常・非日常」という二元対立の世界を脱っせんがために頑張ります。脱したところでは、「日常・非日常」もなんも関係ないところに行き着くわけです。それはどこかというと、なんのことはない。今日というこの日にすぎません。
そして、今日という日にすぎないその時間は、「日常」でもあり、「日常」でもない。「日常」なんてものはそもそもない(なんてものも、無い)。


いろんな「非日常」はあります。リストラされたり、愛する人と別れたり、地震に遭遇したり。
そして「非日常」は応分にして、忘れたころにやってくる出来事です。
でもそれは、いつかは必ずやってくる出来事でもあるのです。それが今・このタイミングでやってきたということ。


年忘れ・忘年会。忘れることで人間は生きていくことが出来ます。忘れることは力にもなり、忘れないことの大切さも力となります。
しかし、「日常・非日常」となり、大事なことを忘れてしまうことだってあるはずです。
今年一年を振りかえり、したこと・したかったこと。ちょっと待てよ、と・・立ち止まる。そうして、心にゆとりが出来たり。反省したり。ちょっとスッキリできたならば。自分自身の姿もよく見えてくるかもしれません。


来年もよい年でありますよう、祈念申し上げます。
お寺で対話する夜、また来年です。