カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

分け登る ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の 月を見るかな

一歩を踏み出すために、いま一番克服したい不安はなんですか - カンロニン
山について。

山とはなにか?(本質論)
山はどこにあるか?(存在論)
山(の**)へどうやって行くか?(認識論)


話される点は、この三つです。そして、あれもいいよね、ありだよね。と言ってみましたが・・

この言葉って、いっけん寛容であるかのように、受容しているかのようにも見えますが、**と認めないことによる差別、もっといえば冒涜とも取れるかも?
まー、世間体なんか気にする必要なんてないんですよね。ぺこぺこしながら心の中でアカンベーしてればいいんですから。そこに心身一如でなきゃいかん!とか持ち出されても、なんも響きません。
でも、きっと、どの宗教もですよ、一神教なら一神教のその神の教えのなかに、他宗教や他の神々を尊敬するという教えがあるはずだ、と私は思い込んでいるのですが・・。
甘えとみるか、寛容とみるか。おおらかと、放任。このふたつには、根本的な違いがありそうですね。


分け登る ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の 月を見るかな