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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

一歩を踏み出すために、いま一番克服したい不安はなんですか

一歩を踏み出すために、いま一番克服したい不安はなんですか・・か。


人生や宗教って「山登り」に譬えられることがある。
めざすところの山頂は一つだけれども、そこに辿りつくまでの道が色々あるんだよ、と。
このとき、山頂=ゴール、という設定なのだろう。でも、それはいちおうのゴールでしかないし、山頂は一つという限定がつく。

ひとが山頂まで登りつめたとき、あたりを見渡してみると山々が広がっていたりする。その山々は、いま自分が登っていた山よりも遙かに高かったり、とーおくのとおくにドーンと構えていたり。
じゃあ、今度はあっちの山にも行ってみようかと思うかもしれない。そうすると、まずは今いる山頂から麓まで降りる必要がある。
家に帰るまでが遠足、とは言い得て妙だが、山頂まで登りましたハイ終わりではない。生きて帰らなければ心配する人たちがいるし。登山とはそういうものだ。


でも、いまの時代、いろんな登山があっていいのだと思う。
山頂に行かなきゃ山頂に行かなきゃ、と思って登山していたら、その途中の景色だとか、木々花々のにおいだとか、楽しむことが出来ないだろう。でも、それもありだ。
山の麓あたりをウロチョロしていたっていい。山頂で踏みとどまっていてもいい。
全部の山を制覇するのもいい。全部の麓を制覇するのもいい。

人間、どうしても出来ないことってある。20代~30代~と、あたらしいことを始めて、やり続けても、10代~から始めている人には到底かなわなかったりする。そういう先が見えてしまうと、やる気がそがれるものだ。
だからって、何か始めて足踏みするよりも、何もしない方がつまらないだろう。


たしかに、もっと前から始めている人にはかなわない。後から始めた人に追い抜かれることだってある。
山頂から山頂へひとっ飛びできる人だって、世の中にはいる。自分には出来ない芸当をする連中っているのだ。

それでも、そいつらには、ぜったいに自分たちの気持ちは分からない。
三年で仕事を辞めた人間にしか分からない気持ちがあるし、五年・十年・定年まで働いたその人にしかその気持ちは分からない。
だからこそ、おたがいに尊重しあい、耳を傾け(知ったかぶりをせず)、沈黙を大切にすることが、必要なんじゃないかな。
ひるがえって、とんでもない芸当をする人達の気持ちを、私たちはぜったいに分からない。ここがポイントだ。

尊敬と謙譲の気持ちがなければ、驚きは生まれないし。その驚きのなかでこそ、人は成長するのだとぼくは思う。また、自然と一歩が踏み出せるんじゃないかな。



忘れていた。新しい山をつくる人もいるし、けずる人もいる。
やっかいなのは、崖へとつづく道をつくる人もいるし、山頂への道をふさぐ人もいる。こういう場合は、どうすればいいのかなぁ。


これかな。苦労は売ってでも、除去せよ。