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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

距離感=質×量

アメリカでは顔見知りで「友達」、日本では親密でないと「友達」だといえないらしい、と。数年前に聞いたおぼえがある。
友達、友人、友。なんでもいいが。自分と相手との関係をみたときに、距離を測り合うこととなる。その距離感が違うね。人間とは社会的動物なのだから、一人では生きていけないんだし。人と人とのかかわりを見つめないとね、ということかと思った。

さてその距離感。顔見知り程度なら、あー名刺交換したことあるよ。名前を言われたな。くらいで友達かもしれない。
親密でないと友達といえないなら、どれくらいまで踏みこんでるか探り合いしつつ・・友達と言っていいか・・あぁ面倒。友達かどうかなんて考えるのが面倒。というか止めちまえ(ナンセンスとバッサリはしないけど)。

心的距離について考えるのは楽しいけど、毎度やってられないこともあるでしょう。
そんなとき考えたことがありました。手っ取り早く、日にちで考えようと。

月一くらいで飲みに行く人、とか。毎日仕事場で顔を突き合わせる人、とか。
仕事場で数年くらいの差しかないし、毎日一緒にお昼御飯はたべる仲。だけど、そんな深い話はしないって人は、それはそれだと。

あの人とは月一で会うくらいがちょうどいいんだ、と附に落とすことにしたんです。むしろ、そうすべきだくらいに。頻度を変えたくなったら変えるでしょう。
スーパーで会う人・あの授業で会う人くらいじゃ我慢できなくなった。もっと違った見方をしたい。そう思ったら行動すればいいだけであって。

そうすれば。ゆるくもなり、一期一会にもなりますよ。また来月会えばいいよなーとか思いつつ、延期したら、そうかそういうスパンの人だったのかと。いやいやもっとちゃんと明確に会うべき人だったんじゃないかと。


違う言い方をすれば、距離感=質と量の掛け算。
深さ(とする)と、日にち。質と量です。

どうですかねぇ。

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