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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

結婚式から約1年

夫婦も同じことがいえます。
妻と夫の関係はお互いがいてこそ、夫婦として認められます。
お互いを尊敬し、感謝をせずに、夫婦というかたちを取り続けることは難しいことです。


うつりかわる自分という存在を、確固たるものとして持ち続けることは大変なエネルギーのいることです。
尊重しあい、支え合うことは、その誰かと生きることを楽にしてくれるかもしれません。
名前 - たぜあた -web版陽岳寺護寺会便り-

婚姻届を出したのが2011年4月の終わり。結婚式と披露宴が10月だったので、もうすぐ1年になる。
そこで考えたのがこの文章だった。


村上春樹氏は、結婚生活についてこう述べている。
「~。僕自身は結婚してから長い間、結婚生活というのはお互いの欠落部分を埋めあうためのものじゃないかというふうにぼんやりと考えていました。でも最近になって(もう結婚して十五年になるのだけれど)、それはちょっと違うのかなと考えるようになりました。それはむしろお互いの欠落を暴きたてる-声高か無言かの違いはあるにせよ-過程の連続に過ぎなかったのではないかと。
結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。結婚生活というのは煎じ詰めていけば、そのような冷厳な相互マッピングの作業に過ぎなかったのではあるまいかと、このごろになってふと思うようになったのです。~」


相手が何を考えてるのか分からない、というスタンスで。だからこそ、分かりたいと願い。でも、融合して一つになろうとも思わず。さらに、欠落という側面からみれば、場所と大きさを相互マッピングすること。そして自分の欠落部分は誰かに埋めてもらうことはできない。自分で埋めるしかない、ということ。

そこからが醍醐味なのではないかと。


たしかに、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないと思います。たとえ大きな悲しみにくれても、その欠落の場所と大きさにスッポリ何かを埋めることが他人にできるのか?と聞かれたら。

家族で何かをなしとげて終わり・・だけでは、つまらないと僕は思います。それを皆さんに押し付ける気はありませんから書かなかったけど。
となりで一緒にやるだけなら簡単です。どういうふうに、なぜ、こんなことをするのか・・理解し合いたいと思ったなら。相互マッピングしてからの、~~が大事です。
相互マッピングするだけなら、となりで作業するだけなら、楽でしょう。これはこれで難しいんでしょうけれどね。


このまえ嫁のお父さんに話を聞きました。おたがい健康なら、これから20年、30年とこれから長いよーって。

自分の欠落は自分で埋めるしかないように、相手を「理解しよう」と思った時点で理解できないでしょう。
だからこそ、大前提として、うつりかわる自分という存在を、確固たるものとして持ち続けるほうがいいだろう・・と思うのですが。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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