カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

正しさについて

なにかの読んだのに井上陽水さんのインタビューがあった。
内容は、昔の歌(「傘がない」とか)は現代に合わない部分がある。だからぼくは新しく歌を歌いつづけるんだ。というものだったと思う。


同じ時代・場所においても見方が180度違うことがあるのだから、時代と場所が違えばとんでもなく別物だろう。


ただ宗教だけは違うはずだ、と最近までぼくは信じていた。
たとえ言葉が通じなくても、宗教が同じなら『心』では通じ合えるのではとか何とか。
そんなのは大間違いだと気付いた。ちょっと他の宗教をかじれば分かることだった。


「通仏教だ」「これはとても仏教的だ」と騒ぎたてる人間がいるけれど何やってるんだかと思う(騒ぎたいだけなのだろう)。
あなたの言う「通仏教」の「仏教」ってなに?どのあたりが通じてるの?仰る部分は仏教固有?
便宜上「通仏教」と言っているのは分かりますけど、これぞ仏教!といえるものなんてあるようで無いし、無いようであるし。


インド中国日本などと今日の仏教の変遷があるように、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム・ほかもろもろにも移り変わりがある。そのたびに布教し続けねばなるまい。
オウムのことがあったときに、ある老師が仰っていたという。
あれは私たちの責任だ。私たちがちゃんと布教を行っていれば。あのようなことは起きなかったかもしれない。


井上陽水さんは別に新しく歌をださなくてもいいのかもしれない。今聞いても色あせないですよね、なんて言われることだってあるでしょう。
ある一面だけみれば、なんだって通仏教・通キリ教・通云々。
じゃあ分からないじゃないかって?そうですよね、分かんないんですよ・・。
分からないものを仏は何でもすくいとってくれるかといったら、そうじゃない(と信じたい)。分かんないものは分かんない。そこが好ましいというか、いいというか。

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