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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

事件・事故はどちらにとっても哀しい

「事件・事故はどちらにとっても哀しい」。これは間違いのない事実だと思う。

僕は以前、交通事故で亡くなった方の通夜葬儀をしたことがある。まるで何もなかったかのように、眠るように横たわる彼の姿に手を合わせた(被害者は亡くなり、加害者は逮捕された)。
そして言った。「彼だけが旅立った。私たちだけが残された。いつか私たちも旅立つ。それでも今、私たちだけが残された」のだと。

加害者の家族は、通夜葬儀と両日の式が始まる前にお焼香へ来ていた。
加害者は生きている。でも、被害者はもうこの世にはいない。間違いようのない事実。
これが、加害者と被害者との歴然とした差(両者ともいることも、いないこともあるが)。

そして、私たちと彼ら・彼らの家族との差。
それは、彼らと、彼らの家族の思いには、なんの理屈も応えられないということ。
事件・事故どちらにも関わっていない私たちとは違うのだ。それはとても孤独なこと。


たしかに、とんでもないヤツというのは存在する。更生できるのかと疑う。やむをえないと言われる。そんなヤツと同じ空気を吸いたくないと思う。いなくなってほしい。
が、いる。生きている。それが罪の重さではないかと。死刑って、死刑執行はい終わり、というものではない。後悔、懺悔が必要なの通常(?)の刑罰とは種類が違うように思う。

正直、僕にはわからない。死刑の有無。単に、殺生戒があるからダメだ、とは言えない気持ちがある。


ちなみに・・・朝刊の一面で死刑執行の記事が書いてあったけど。国民の大半が支持しているからと死刑執行するか?大半が支持していなかったら執行しないのか?それだけじゃないとしても。分かってくれるよね?という気がぷんぷん。本当のコメントかも疑わしい。