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カンロニン:用法用量を守って正しくお使いください

I will be able to teach zazen, the sitting-meditation, to everyone in English.都内にある禅宗寺院の中の人。仏教、イベント、本、教育、組織、アナログゲームなど、日々考えていることを綴ります。現在仏教になじみのある方、まったく興味のない方、みなさまに読んでいただけたら幸いです。

奇跡

奇跡はつくることができるんだ!というはなし。


今月も終わりにさしかかっている。三月は季節にすればまだ冬だけど、あと何日かで四月になる。もうすぐ春だ!

三月はまだ冬である・・と言ったけれど、三月のお彼岸は「春のお彼岸」と言ったりする。お彼岸とは、三月は春分の日、九月は秋分の日をまんなかに前後三日間を含む一週間のこと。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、はやく春になってほしい!という願いもあってか、「のお彼岸」と言うのかもしれない。

さて、今日は25日。春のお彼岸は23日までなので、もう春のお彼岸は明けたわけだ(初日を「入り」、最終日を「明け」という)。お寺の墓地を眺めてみれば、お花の供えられているお墓ばかり。正確に数えたわけではないけれど、お寺の墓地の90%以上に墓参があったみたい。


僕は、この事実はすごいことだと思う。

もちろん、やむをえない事情で墓参されていないお墓もある。それでも、花立てに樒(しきみ)や仏花のないお墓の名前(~~家)を見ると、そのお墓を守っている家族の顔を思い浮かべることが出来る。
何かあったのかな、仕事が忙しいのかな、と心配になるけれど、このことは、その家族がお寺と関係を持っていることの証だと思う。


仏教には好感度・関心は高いけれど、寺院・僧侶にたいしては低い。というアンケート結果をどこかで聞いたことがある。

そんなアンケート結果を打ち消す事実が目の前に広がっていることを受けて、素晴らしいことだよなァと思うのと同時に、これからも寺院・僧侶は頑張っていかないとと身の引き締まる思いがした。


日常の普通さを疑う機会はいくらでもある。先の大戦、昨年の東日本大震災は、目に見える大きな機会であったわけだけど。日常の普通さとは、ゆっくりと流れる時間の中にある奇跡なんだ。連綿と続く人の命の連鎖をながめてみれば、だれだって気付くことができる。

孫をつれて、また息子や娘に連れられて墓参にくる家族。親戚。友人。この人たちの命の連鎖は、計り知れない奇跡の積みかさねの上にあるのだ。決して順調とはいえないかもしれないけれど、一日一日を経て今があることを思えば、それは奇跡で。その奇跡はつくることができるると考えてもいい。


だから僕は墓前に供えられた花々の彩りに奇跡を感ぜずにはいられない。そう思えばこそ、この花々を、この時間を、いとおしく思ってしまう。どうかこの奇跡をお寺に関わってくれている檀信徒の皆さんにも気付いてほしい。奇跡はつくることができる。そして、そのためには一人ひとりがこの奇跡に気付くことが大切で、この奇跡が続くように頑張ることも大事なのだと。そう思った。

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