カンロニン

トウキョウ在住20代禅宗坊主の日記です

喫茶喫飯~きっさきっパン

「喫茶喫飯」という禅語があります。
この禅語の出典についてはハッキリしていません。すこしググれば分かりますが、様々な禅師が「喫茶喫飯」について語っています。
おおもとの出典が分からない・・というのは、「喫茶喫飯」とは当たり前の動作のことであり、かつ当たり前に言われすぎていて、元祖「喫茶喫飯」は存在しないよね・・と見るべきでしょうか。


「喫茶喫飯」を書き下せば「茶を喫し、飯を喫する」。「茶」や「飯」については、ふつうのティ・ティ的な飲み物、ご飯・食べ物、のことでしょう。

総持寺のご開山・瑩山禅師は「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と自分の境界を述べられました。
境界については分からなくても、なんとなく言っている意味は分かりますよね。そして、当たり前すぎてそれがどうした・・といった印象を持たれるかもしれません。


ここでポイントとなるのが「喫」です。「喫茶喫飯」の「喫」は、ただの食べる・飲む、ではないようです。
中国語で「吃(喫)」とは、食べる・飲む・(~に頼り)生活するという意味。まぁ「喫茶喫飯」を見ても、パッと思いつく意味かなぁと思います。
ただ・・(~に頼り)生活する・・について考えてみると感じられるところがあるかもしれません。

どこで生活するか。・・その場所は?
「喫」には、お前のいる場所はどこだ!・・という深い意味があります。

喫茶喫飯 - 雲水喫茶の日替りマスター!!|雲水喫茶
星覚さんの言うように“本能を感じる時”“本性があらわれてしまう”その時。「喫」とは、そのタイミングにおける大切さを説いているわけです。


パンを食べたり、祈ったり。第十一夜では本覚寺副住職・守長師の導きをたまわりました。

パンやウーロン茶は、ただそこにあるだけでは物体に過ぎません。
しかしそこに、「喫」という行為によって、私とパン、という関係性が出来上がります(「見て、持ち、口に入れ、かみ、飲む」)。

毎日の当たり前は慣れることで高速化できます。そして、慣れていることに私たちは無意識です。ながら作業(+テレビを見ながら、+スマホをいじりながら、+新聞を読みながら、+音楽を聴きながら)は良い例でしょう。

ながら食事では、食べ物・飲み物のおいしさは感じられません。噛むことも忘れ、ただ口に突っ込んでいるだけ。
第十一夜にて、五観の偈とともにパンを食べるという行為をしました。それは、私とパン、という関係性に意識を向けることでした。
そして自分がこうありたい、他者にこうあってほしい、と祈りました。


お寺や神社でお参りするときに、まず心を落ちつかせて、そっと手を合わせ・・・というのは、私と**という関係性に意識を向ける準備です。
そして、その関係性に意識を向けることは、**につながる自分とはなにか?という問いです。

このような自分への振り返りのチャンスは日々あるはずなのです。
でも私たちは特に考えもなく、神社に行ってはお賽銭を投げ、とりあえず食事の前に手を合わせ、誰かに会ったら頭を下げています。

それは何故か。
慣れているから。当たり前すぎて、無意識で、できてしまうからです。
そして、慣れているからこそ、ふだんの自分がそこに出てきます。
「喫茶喫飯」
そのタイミングにおける大切さを、ふだんの自分が出てくる「そこ」を、もっと見つめてもらいたいと思います。
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「ていねい」というワード。
正しく向き合うこと、丁寧すぎること、小さい・こまかいこと、毎日必ずすること、こだわり、しつこさ、好きなこと。
一年のうちの一日を「向き合うこと」に充てなくても。自分自身をいたわるような。それも日々の生活のなかで。ふだんの自分を真摯に見つめる、ちょっとした工夫が出来れば・・。
人生はきっとステキなものになるかもしれません。

あなたが日々の暮らしの中で
ていねいに取り組んでいることは何ですか?

安易に未来を想像するよりは

今年3月より坐禅会を始めた。
いつやるか?今でしょ!の後押しによって、重い腰を上げたのだ。彼にはとても感謝している。


去年の一月ごろ、人力検索はてなでアンケートをした。
あなたが坐禅会に求めることはなんですか?@都内23区 当寺での.. - 人力検索はてな
どんな人が、いつ、坐禅会に参加したいと思っているか。知りたかったのだ。
インターネット上の、知らない人たちへのアンケートなので、結果に信用がおけない、とは思っていた。戯れでも、答えが返ってくるか試してみたかっただけかもしれない。
・・その結果は、性・職業・年代すべてにおいて「土日の朝or午前中」だった。

分かってはいた。
仕事帰りに坐禅するか?わざわざお寺に来るか?と思っていたし、土日の人気は町内の禅寺(毎週土曜夕方に坐禅会をしている)から聞いていた。

というわけで、そのアンケートを受けて坐禅会を始めた・・・わけではなかった。
過去の経験、将来への期待を考えてしまった。始められなかった、いや始めなかったのだ。


単発でも、始めるのは簡単かもしれない。しかし続けることは、より難しい。
始めることは出来た。では、どうすれば続けることが出来るか。


安易に未来を想像するよりは、とにかく今に集中することだ。
考えること、悩むこと。これらは、人が生きていくうえで大切なことだ。ただ、考えること・悩むこととは、過去の経験を思い出したり、将来への期待をすることでもある。

今に集中することは、過去の経験、将来への期待、という限定を取っぱらう。


たとえば、こういった場。
「フューチャーセッション・ウィーク2013@GEOC」開催 - - 地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)
「未来志向の創造的な対話の場」
ここで言う場が、“それ”だろう。未来の安易な想像ではなく、今を大切にして考える場。


壇信徒のためにも、地域のためにも、日本人のためにも。陽岳寺もそうなりたいなぁと。彼らの活動を、外から見ているだけでもそう思う。
楽しんでやっていかないとね!
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※6月のごほうび坐禅会※
6月17日(月)19:30~
6月のごほうび坐禅会 | Facebook

姑息とは良い手段

しばらくの間、息をついて休むように。
それは、その場しのぎではないし。間に合わせでもないし。子供だましでもないし。言い訳でもない。
根本的な解決になることもあるでしょう。

目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くにあるいは近くに住むものでもすでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

『ブッダのことば スッタニパータ』
中村元訳・岩波文庫

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

【レポート】お寺で対話する夜~第九夜「幸せ」於 陽岳寺

4月11日の夜。参加者の方々、幹事の方々そしてお坊さん方のご尽力により、『お寺で対話する夜~第九夜』無事成功しました。みなさん、お疲れ様でした。
第九夜、いかがだったでしょうか。お寺で対話する夜の会場はお坊さんによる持ち回り。今回は品川を離れての開催でした。
みなさん打ち解けて対話できてるな~と見ていたのですが・・・。以下レポートです!

お寺で対話する夜~第九夜「幸せ」於 陽岳寺

四月だというのに肌寒い夜、お寺で対話する夜~第九夜が開催されました。於 門前仲町 陽岳寺
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挨拶から始まり、少人数グループに分かれて、一時間ほどの対話の時間。
そして私から仏教的お話と、般若心経をみなさんでお唱えしました。さらにその後、みなさんアンケートを書きつつ、はじめまして同士交流を深めてらっしゃいましたね。とても楽しかったです、本当にありがとうございました。

お寺で対話する夜、とは?

お寺で対話する夜とは(向源イベント情報より抜粋)、

葬儀・法事、除夜の鐘、初詣、観光以外、
ふだんの暮らしの中でふらりと訪れる機会がなかなかないお寺。
平日の夜、学校/会社帰りに立ち寄って、
僧侶をまじえて、そこに集まった方とゆったり言葉を交わし、
法要・法話を通じて"よりよく生きるロジック"である仏教に触れる時間。

お寺で対話する夜も九回目。第九夜のテーマは「幸せ」。なんともなしに、口から出たのが「幸せ」についてでした。「向源」主催者である友光さんから最近気になってることはないの?とキッカケを与えられて出てきた言葉でした。

ちなみに・・・今月の4月29日(月曜 祝日)に品川で開催されるお寺のフェスティバル「向源(こうげん)」、お寺で対話する夜は「向源」のプログラムの一つです。記念すべき第十夜!

「向源」とは?

「向源」主催者である友光雅臣さんによる連載が更新されています。詳しくは以下サイトに。

テーマは時に軽く重く、時に浅く深く

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仏教とは今を生きるための教えです。せっかくお寺にいらっしゃるのですから、「いいこと聞いたなァ」で終わり・・では勿体ないですよね。人から見られたときにしか価値や意味を見出せない視点とは違う、別の視点を仏教から掴み取ってもらいたい。そう考えています。

幸せってなんだっけ?

第九夜のテーマは「幸せ」でした(「幸せ」つながりで、ハッピーターンを用意しました)。
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法話でもお話ししましたが、私は思うんです。「幸せ」について考えるということは、いろいろな顔を持っている“自分”という存在をすごくあぶり出してくれるんじゃないか、と。
それはなぜかというと、きっと私たちが「幸せ」について考えるときって、自分や自分の家族を最小単位にしているからだと思うんですね。

たとえばお風呂に入っているときとか、ビール飲んでるときとか、旅行してるときとか、子ども見ているときとか、仕事が充実しているときとか。
思い出というか、皆さんが経験してきたことを振り返ると思うんです。ああいうときは幸せだよなぁと。

私たち人間っていろいろな場面で、いろいろな顔を持っていると思うんです。
いろいろな顔というのは、たとえば役割、所属や性別のことです。
家族のなかで考えれば、親と出会えば息子・娘となり、祖父母と出会えば孫となり、パートナーと出会えば妻・夫役となり、子どもと出会えば親となる。仕事しているなら、会社員の私とか。幸せから考えると・・お風呂やビールが好きな自分、仕事で成功している自分とか。

私たちの思う幸せの場面というのは、それら全部が自分なわけです。自分というのはいろいろな顔を持っているわけですね。

みなさんの思う幸せ。
たしかに、何が幸せかはそれぞれだし、信じていれば幸せかもしれません。けれども、それは本当に幸せか?・・と、そもそもの部分を仏教は問います。さらに言えば、自分で確認する必要があるとも。

矛盾ばかりのこの世の中で、理不尽で納得できない事実をつきつけられたとき、確かなものとして自分自身に受け入れるためには、確認が大切なんだと。
「幸せ」を考えること、対話することで、「自分」のことを確認する必要があるのではないか、そう思います。・・・


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・・・そして法話では、すこ~し仏教の話をしたのでした。三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)というものです。
お寺で対話する夜は、会場となるお寺さんがお話しすることになっています。毎回お堅い話というわけではありません。内容がやさしかったり、堅かったり、グサッとくるようなことを言ったりします。そこも対話する夜の面白いところです。

おわりに

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対話を通じて、聞いて考えて、自分を見つめ直して、実践につなげる場。それがお寺で対話する夜です。第九夜では「幸せ」から「自分」という存在を確認する大切さについて考えていただけた・・と私は思っているのですが、どうでしたでしょうか。

向源のテーマがそこに繋がるかもしれません。『自分の言葉、聞こえていますか?』

告知『向源(こうげん)』4月29日@品川

第十夜が今月末、行われます。
4月29日(月曜 祝日)に開催されるお寺のフェスティバル「向源」のプログラムの一つです。

「向源 -自分の言葉、聞こえていますか?」

■日 時 2013年4月29日(月・祝) 13時~22時
■場 所  京浜急行新馬場」駅徒歩5分圏内の神社仏閣
天台宗 常行寺(品川区南品川2-9-18)
・浄土真宗 正徳寺(品川区北品川2-9-26)
臨済宗 清徳寺(品川区北品川3-7-22)
・神道 品川神社(品川区北品川3-7-15)
■主 催 向源実行委員会
■料 金 4,500円 (イープラスにて4月1日より200枚限定販売)
お申し込みはコチラ
(ネット上で予約しなくてもファミリーマートのFamiポートという端末から直接購入出来ます。Famiポートにて関東の全てのジャンルから「コウゲン」と検索してください。手数料なしで購入出来ます。)

品川で行われるお寺フェス。「能・雅楽・巫女舞・天台声明」「精進弁当」「体験型ワークショップ」。内容もりだくさん!どうぞみなさん友人等お誘い合わせの上、チケットを求めて、ご参加ください。

「向源」ではイベント内容を三種類に分けており、各体験から1コマづつ選ぶことができます(「能・雅楽・巫女舞・天台声明」「精進弁当」「体験型ワークショップ」の計3つをチョイス!ぶ)。自分の言葉を聞く・・・その楽しみを選べる一日を。ぜひ。

参考までに、向源満喫プランのご案内をご覧ください。

【レポート】第3回 時をみる会(於 福昌寺)

第3回時をみる会@福昌寺に参加してきました。
【時をみる会】とは、お寺で行う、和文化・こころを体験するイベントです。f:id:m_sozan:20130504151940j:plain

第3回 時をみる会 於 福昌寺

内容は三部形式で、以下のように進んでいきました。
第1部は、坐禅体験(福昌寺副住職 飯沼康祐師)
第2部は、いけばな体験(いけばな松風副家元 塚越応駿氏)
第3部は、精進料理を皆さんでいただく(福昌寺副住職 飯沼康祐師)


とても盛りだくさんですよね。内容が充実しているように、かなり充実した一日になりましたよ!
坐禅体験は、準備体操や、バシッと的確な説明により行われました。一人プロの方が混じっていたようで、はじめに叩かれていましたね。プロの方が言うには、坐禅の時間も充実した長さや内容だったとのことです。
続いてのいけばな体験も、完全なる非日常です。コツのようなものを副家元にご指導たまわりましたが、みなさん楽しんで&無心にお花を生けていました。ためらいながら、まよいながら、つまずきながら、それでも自分の花に集中していらっしゃったように感じました。ぼくもですが。

そして、精進料理。春を感じさせる、とても美味しい一汁三菜でした。たけのこ、わかめ、餡のアクセントもたまりませんでしたね。もちろん菜飯も、ピーマンのじゃがいも詰めも、おまめ(魔滅)さんも、お漬け物も、じゃがいもでとった出汁のお味噌汁も。あー・・おなか減ってきた・・・。


帰宅してから、想像していた場所に花をいけました。似た形ではあるのですが、完全には同じとはいきません。そうなると、また工夫がはいってきます。面白いです。

当日、か・な・り、よかったです。体験したことのないもの、に触れることで、自分を見直す・・・確かにそうなんですが、それだけでは全部を言っていないんですよね。
「時をみる会」は非日常だったかもしれませんが、料理したり、ご飯をいただくのは、毎日のことですし。お花だって見てるときは見ているわけです。
お寺という異空間で、非日常イベントを過ごす・・わけですけど、ただ気づいていないだけとも言えるんです。
へー・・そんなことやってるんだー・・では分からないものが、ココにはあります。「時をみる会」にじっくり参加して、味わってみないと。

うれしいことに開催スパンが短くなるようで、次回開催予定は6月予定。くわしくはFacebookファンページをご覧ください。いいね!も、ぜひ。

くわしくは・・・

時をみる会 | Facebook

【レポート】第2回Final Journey Workshop×LIFE+(死の体験旅行)

3月28日。第2回Final Journey Workshop×LIFE+に参加してきました。

Final Journey Workshop(死の体験旅行)とは

Final Journey Workshopとは、ある人格が病にかかり、病気が進行し、やがていのちを終えていく物語の追体験。
東神奈川にある浄土真宗のお寺「なごみ庵」住職、浦上師の導きでお話しが進んでいきました。

挨拶につづき、本編へ・・

始まってすぐの感想は、まるでTRPG!ただし、ゴールが決まっていて、かつカードを切るのみ・・せつない・・。

物語の内容について知っていながらの参加でした。ネタバレによる追体験の不出来を心配したのですが、そんなことはありませんでした。
それよりも、物語の内容に納得がいかない部分がクローズアップされて(もしかしたら・・と受け入れている自分と、いや本当は違はずだ・・と認めたくない自分)、むしろプラスになりました。
人間とはあがらう生き物です。“物語への抵抗”“病気と時間が進むことへの抵抗”が、物語への追体験を深いものにしてくれたように思います。


生と死。それは、両極端・バラバラに存在しているようで、しっかり一本の線で繋がっているもの。
そんな自分にとっての「生と死」を考える一つのチャンスに、このワークショップはなりました。

人間っていろんな役割や顔を持っています。年齢や性別に関わらず、父親だったり、子どもだったり、妻だったり、社員だったり。そして、その人間の側面は日々変化していく。
それは同時に、自分にとっての「生と死」も、本当に大切なものも変化していくわけです。さらに、その変化は自分では見えにくい。
その変化が。今この時、という生が。死の追体験によって、立ち上がってきたのでした。

みなさんも是非、体験してみてください。一度体験すれば終わり、に感じるかもしれません。しかしそんなことはないと気づきます。


死の体験旅行の効用をあえて申し上げてみるならば・・・。
浦上師のいい声に導かれ、物語へと自分を没入。涙しちゃうかもしれないし、話についていけないかもしれないけど、それぞれに自分の言葉を聞いてみる大きなチャンスなのだと思います。
夜の方が体調の変化もあり、雰囲気がでるし、没入しやすいかと存じます。

東神奈川にある浄土真宗高田派のお寺「なごみ庵」住職 浦上哲也師については

ちいさなお寺 なごみ庵:So-netブログ